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CENTRAL ASIA
中央アジア
(5)シムケントからキルギスへ

オルダバスホテルの朝食。お粥的なものが独特だ。
 
シムケント市内のバス

シムケントのサマル・バスターミナル ⇔ 切符売り場

カフェレストラン。なんとも言えない独特の雰囲気(シムケント) ⇔ 街のキオスク
 
ツム百貨店内の電気製品売り場

シムケントの近代的ショッピングセンター ⇔ 大通り

中央バザールの食堂で昼飯。ラグマンとナン。

肉・ソーセージ屋のおばさん

中央バザール
 
中央バザールのナン売り場 ⇔魚売り場

シムケント中央バザールの女性たち

米(シムケント中央バザール)
 
郷土博物館 内部 ⇔ 外観
 
オルダバスホテルで出会った若者

バスターミナルの愉快な人々 ⇔ 私が乗るビシュケク行の国際バス

緑と茶色の大地(シムケント→ビシュケクの途中) ⇔ 放牧風景
 
夜中3時半、国境に到着

2012年5月4日金曜日。
朝8時過ぎに起き、ホテル1階のレストランで朝食。中央アジアのホテルは、基本、朝食付きだ。揚げパン、目玉焼き、お粥のようなもの、茶。このお粥チックなものはこちらに来て初めて食べた。一見するとヨーグルトに見える、クリーミーなお粥。味はほとんどないので、何か調味料をかけて食うのだろうか。これはカザフ料理か。中国の影響を受けた結果だろうか。この街を歩く人も、東アジア系の顔立ちが多い。

食堂には日本人の女性がいた。ここに泊まっているとのこと。彼女は中国ウルムチからカザフスタンに入り、これからウズベキスタンに行くんだという。シルクロードトラベラーだ。僕は、今まで巡ってきたタシケント、サマルカンド、そして昨日の途方もない国境越えの話をする。
彼女に教えられ、このホテルはチェックインから24時間滞在できることを知る。5000デンゲというのは24時間の料金で、12時間だったら3000デンゲなのだという。そういうことか。旧ソ連ではこのようなシステムが普通なのだろう。チェックイン・チェックアウト時間が決まっているのではなく、入ったときから24時間滞在可能、というシステムだ。だがこれは僕にとっては好都合だ。今日はシムケントの街を見物し、これから先の移動を手配せねばならない。

朝食後またしばらく横になり、10:30頃外に出る。まず、サマルバスターミナルへ行き、キルギスの首都ビシュケク行きの国際バスの時間を調べねばならない。この時間によって今後のスケジュールが決まる。

ホテルのフロントで、バスターミナル行きのバスの番号を教えてもらう。19番と69番。バス停でしばらく待つと69番が来たので乗る。バスは新しく、こぎれいだ。
サマルバスターミナルは、『歩き方』の地図とは真逆の、街の西側にあった。バスターミナルの周りは、猥雑な商店街や自動車修理工場が並び、バスになる人とあいまってかなりの熱気を帯びている。

バスターミナルはコンクリートで敷き詰められた敷地にバスと建物が並んでいる。メインの建物に入る。清潔な建物だ。アジアや南米のバスターミナルとは全然違う。先進国のそれである。

チケットブースでビシュケク行きのバス時刻を聞く。すると、朝9:30と夕方18:30の一日二本で、所要時間は12時間もかかるという。これで僕は選択の余地なく、今日夕方のバスでビシュケクに行くことにした。チケットを求める。ここで、英語を話せるニーちゃんに色々教えてもらう。彼はウズベキスタンの学生だそうで、その割に英語がうまい。彼も今夕同じバスでビシュケクに行くという。さらにチケットの席を見ると、僕の隣ではないか。彼とは世界情勢について話す(笑)。ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、ソ連崩壊後のこと。政治、経済。僕は、金だけがすべての市場経済が世界をおかしくしていると主張。だが、彼はそれを理解しない。金により世界は変えられる、金がない貧乏国は、金をどう儲けるかを考えなければならない、という。いや、それだけの価値観ではダメなんだ、と僕は言うが、これは英語で説得するのが難しい。弱い国には革命が必要か?財政的に弱い国が生き延びるにはどうしたらよいか?キルギスは目立った産業もない貧国だが、基地の見返りを得るために米ソの間でうまく立ち回ったと彼は解説する。僕は弱い国ならではのやり方として、ブータンの例を挙げる。必ずしも他国に翻弄される土俵に上がらずとも済むのではないか?という話をする。結局、国民が幸せになることが、その国の国益である。これには異論を挟みようがない。国民の幸せのためにどうするかは、様々なアプローチがあるはずだ。彼との議論は、平行線をたどる。
民主主義の話に移り、僕はロシアを民主国家でないと糾弾すると、彼は反論し、激論となる。ロシアの腐敗、政府によるメディアコントロール。中国と同じで、ロシアが民主国家だなどと、口が裂けても言えない。

どちらからともなく議論を切り上げ、今日の夕方にまた再会することを約し、別れる。
もう12:30。バスで市内に戻り、シムケントの街を歩き回る。雑貨屋に入ると、ロシア的白人のかわいいネーちゃんがいて、挨拶する。街を歩くと、改めてアジア人的顔にひっきりなしに出くわす。というかここに住んでいる人は、みんなアジアから来たかのようだ。中国、韓国、モンゴル、そして日本。東南アジアというよりも、東アジアだ。彼らはどこから来たのだろうか。韓国的な顔をした人が話すカザフ語(ロシア語?)は、韓国語に聞こえてくるから不思議だ。いや、本当に韓国人なのかもしれない。前述した通り、中央アジア諸国と韓国とのつながりは深い。

街の中心、ツム百貨店の向かいにあるその名も「メガショッピングセンター」は、割と昔ながらのツム百貨店に比べると、近代的なモールである。広々とした吹き抜けがある造りも、最近のショッピングモールにありがちだ。だがここは、吹き抜けの底、1階部分がなんとスケートリンクになっている。これは驚きだ。リンクには、小さな女の子がたった一人、滑っていた。彼女はペンギンの置物みたいなものと一緒に滑っていた。全くおかしな光景だよ。ビデオを撮ろうとすると、警備員が近づいてきて、「撮影はダメだ」と僕に告げる。しぶしぶ撮影を断念。絵になる光景だったのになぁ。

その後中央バザールへ。どの街にもある大きな市場。街の台所。バザールの入り口でビデオを撮っていると、すぐに警官に捕まる。
「ビデオはダメだ」
で僕は拘束され、市場の片隅にある警官の詰め所に連れて行かれた。何人かの警官が詰めている。カザフ語で彼らは言葉を交わす。きっと僕のことを言っているのだろう。「こいつ、ビデオを撮ってたんだ」とか。詰所の脇には、”オリ”がある。警官の一人が僕に笑顔で言う。
「お前は今日はここに入るんだ」
おいおい、冗談はよしてくれ。だけどあのカザフスタンの国境係官の暴挙を考えると、ここでもあり得ないことが起こっても不思議ではない。一日拘留されるとか。ビデオを没収されることもあり得る。国家権力などというものは一市民が抵抗してもどうにもならない、そんなものだと国境で痛感させられている。
詰所では、しばらくすると上官のような恰幅のいいオヤジが二人入ってきた。いすに座って彼らと対面させられ、色々聞かれるが、言葉が分からない。かろうじて自分が旅行者であること、日本から来たこと、一人で来たことは伝わった。パスポートをチェックされ、再度ここは撮影禁止であることを注意される。でようやく解放された。別れ際は、警官たちは僕に握手を求めたりして、なんじゃそりゃ?的な結末だったが、結局彼らも業務であって、僕が怪しい者でないことが分かれば、日本から来た旅行者にカザフスタンで不快な思いはしてほしくない、というごく真っ当な気持ちが芽生えたのかもしれない。それにしてもバザールの撮影を禁止するとは一体どんな理由だ?外国人に知られてはならない秘密の果物でも売っているのだろうか?(笑)駅や空港だったらともかく。この場所に国家機密などありはしない。もっと自国のことを他の国に知ってもらう努力をすればいいのに。僕がカザフスタンの宣伝者になってやろうっていうのに、まったく。
解放され、警官どもの姿が見えなくなったら、僕はカメラを取り出し、写真を撮り始める。だが今度はさすがに注意深く撮る。

昼飯はバザール内の食堂。プロフはないというので、仕方なくラグマン(中央アジアのうどん)。なかなか美味い。ここの人々はタシケントに比べればおとなしめだ。タシケントでは結構みんなが人懐っこくて、向こうから話し掛けてきたが、ここでは今のところそんなことはない。街なかでもウズベキスタンでは圧倒的に声をかけられる頻度が高い。思い出したが、昨日シムケントでバックパックを背負ってホテルを目指して歩いているときに、なんと僕は女性に道を聞かれた。カザフ語だかロシア語だかで話しかけられたが全く分からないので、「分かりません。僕は旅行者です。」と日本語で答える。おいおい、どう見ても僕はジモティーに見えないでしょ?このバックパックが見えますか?旅行者ですよ旅行者。だが、裏返すと、僕のような顔立ちをした人間が、この街には多いということだ。僕がここに住んでいる人間に見えたんだろう。それともただ単にとても急いでいて、誰彼構わず聞いていたのか。
中央バザールで売り子のオバちゃんたちに「写真撮っていいか?」と聞くと、「No」の返事がしばしば。タシケントのチョルスーバザールとはノリが違う。厳格なイスラムでもないだろうに。

バザールを後にし、短時間で郷土博物館を見学する。入場料200デンゲにしてはショボかった。しかもカザフ語かロシア語の説明文しかなく、よく分からなかった。が写真はOK。カザフ人の生活、生活用具、出土した土器や、この国の動植物などの展示。カザフスタンの紹介。産業や有名スポーツ選手。そして大自然の写真。ほとんどが緑の大平原。国境からのマルシュルートカからも見た通り、この国は見渡す限りの草原が国土の特色だ。さすがカザフステップの国。

シムケントの街は、陽光に照らされ、輝いている。整備された車道と歩道に街路樹、公園。緑が多い。メイン道路は片側4車線くらいあり、多くの車が行き交っている。ポンコツ車は目立たない。ゴミは少なく、整然としている。街の風景は、先進国のそれと変わらない。若者はこじゃれた洋服を着、年配の女性たちは色鮮やかな民族衣装を着て闊歩している。ここでは、貧困は感じられない。

シムケント 写真集

ホテルに戻る。17:10。まだ部屋が使えるとはありがたい。この国のホテルシステムに感謝。ホテルの廊下で一人のロシア人の若者が声をかけてくる。が言葉が分からない。僕が旅行者で言葉が通じないことが分かると、彼は妙に恐縮していた。彼はウェートリフティングの選手で、大会でこの街に来ているのだという。なるほど柔らかそうな筋肉質の身体をしている。ひとしきり片言の英語でしゃべる。彼はアジアの顔立ちではなく、白人系である。

部屋に戻り一服。だがバスは18:30発なので、そんなに時間はない。荷物を持ってチェックアウト。17:30。69番バスでサマルバスターミナルに着いたのは、18:10だった。危ない危ない。トイレに行き、僕が乗るバスの裏にいた男3人組と談笑し、バスに乗り込む。あの激論を交わした若者は、もう僕の席の隣に座っていた。出発直前までほとんど乗客がまだ乗っていなかったが、出発1分前くらいの直前になってダーっと乗ってきて、またたく間に満席となる。バスはかなりいい車両だ。これなら長時間でも何とかなりそうだ。

バスは出発したものの、ところどころで止まり、誰かを待っている感じだ。そしてようやくバスはシムケントの街を出る。だがまだバスはトロトロ走る。なぜなら道がボロボロなのだ。走り始めて1時間、19:45に早くの休憩タイム。ここで日が暮れる。
走り始めて数時間すると、道は素晴らしく平滑になり、バスは一気に加速し、スピードが上がる。あの悪路がなければ、もっと時間は短縮されるのに。
次の休憩が23:30.ここまで爆睡出来た。その後さらに食事休憩が0:15。日付は変わって5月5日になっている。ここで30分ほど停まる。僕は食事はせず、こんな時のために取っておいた、サマルカンドの宿で出たチョコウェハースを食べる。美味い。まさかチョコとは。水がなくなったので水を買う。今回は近くの人にガス入りかどうかを確かめてから買った。

キルギスとの国境には午前3:20に到着。爆睡しているところを叩き起こされ、乗客はすべてバスから降りる。しかし越境はことのほかスムーズ。ウズベキスタン−カザフスタン間の国境とは雲泥の差だ。このカザフスタン−キルギス国境は、バスでの越境がシステム化され、すべてがてきぱきと行われる。他のキルギス人やカザフ人に比べると僕はイミグレーションに時間がかかった。カザフ出国でもキルギス入国でも同じことを聞かれる。「旅行者か?」「一人か?」ただ、トラブルはなく終了。夜中ということもあろうが、20分くらいでキルギスへの入国が完了。全くカザフスタンの越境4時間は一体なんだったんだ?ということだ。まさに悪夢。

他の乗客も次々と手続きを終える。こんな真夜中だというのに入国審査官も大変なことだ。バス以外の車も結構来ていて、人の出入りが活発な国境のようだ。両替屋も開いている。僕も10ドル分だけソム(COM、キルギスの通貨)に換える。1ドル=46.6ソム。
トイレでクソをする。大抵こういうところの公衆トイレは有料なので、残っていた20デンゲ玉が役に立った。
ところで、キルギスでもカザフスタンと同じように、税関申告書が必要なかった。しかも荷物のX線検査すらない。まさにザル国境。陸路ではX線はないんだっけか?忘れてしまった。中米はどうだったっけ?

バスは4時くらいにようやく遅れてやって来た。いざ出発、という段になって、ある女の子のカバンがなくなった、という。しばらくみんな騒然としてその女性はバスの中と外を行ったり来たりしてカバンを探す。僕は眠くてシートに座り目をつぶって遠くにこの騒ぎを聞いていた。見つかったのか、15分後くらいにようやくバスは出発。カバンが見つかったのかどうかは分からない。

そしてついに朝6時半、キルギスの首都ビシュケクの西バスターミナルにバスは到着。所要ちょうど12時間。もう外はまぶしい朝日が昇っている。疲れた。よく寝たが途中とにかくよく停まって叩き起こされたので、すっきりとは程遠い。バスを降りると朝っぱらだというのにタクシードライバー達がわんさと寄ってくる。振り払ってベンチで一服。水を飲む。不思議と腹は減ってない。
街の向こう側には、雪をかぶった山々がそびえている。

15分くらい休んで路線バスの走っているジベック・ジョル大通りへ。この通りをまっすぐ街の中心へ向かうという48番バスや100番マルシュルートカがいつまで経っても来ない。バス停の後にあった公衆トイレで再びクソをする。ちょっと下痢気味だ。

仕方なく7番バスに乗ってツム百貨店辺りまで行くことにする。バスを降りて歩いてさくらゲストハウスへ。ここは『歩き方』に載っている安宿で、日本人が経営しているとのこと。街の中心からはちょっと離れているので、疲れた身体でバックパックを背負い、かなり歩いた。朝なのにもう日差しが強くなってきている。雲ひとつない快晴。

住宅街のなかの一画にあるさくらゲストハウスにようやくたどり着いたのは、朝8時半。もうヘロヘロだ。呼び鈴を鳴らす。2度目のベルで主人が出てきた。1泊シングル600ソムというので即決めた。そんなに宿泊者は多くないようである。日本人の主人は、見たところ僕と同じくらいか、ちょっと下の年齢だろうか。しばらく彼と話す。
その後部屋に入り、ベッドに倒れこんで眠りこけた。12時くらいまで寝ようと思っていたが、起きたら午後1時過ぎだった。慌てて飛び起き外に出る。腹が減った。


(続く)
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(中央アジア旅行記 −5−

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